最新粗大ゴミ処理の解説
典型的な「人工物質」はプラスチックだ。
プラスチックは石油を資源として製造されるが、捨てればそのままゴミになっていつまでも残る。
プラスチックのリサイクルには、そのための施設を建設することが必要になり、そこでまた石油を投入しなければならない。
また多種多様な添加物がふくまれているので、燃やしてもさまざまな有害物質が放出され、それはまわりの生物に障害をもたらす。
人工物質を生産するエンジンは、持続的な物質循環を実現できないのだ。
あなたは60兆個の「細胞エンジン」をもっている自然は、数十億年という生物進化の歴史のなかで、生物の体内にも、巧妙な物質循環のしくみをつくりあげてきた。
生物のからだをつくっている最小の生物学的単位は細胞だ。
あなたのからだは約60兆個の細胞からなり、毎日500億個の細胞が、一方では死に、他方では新しく生まれている。
環境エンジンの持続可能性を評価する場合、環境エンジンだけではなく、それを包みこむ、より大きな環境が必要になってくるのである。
それもまた環境エンジンである。
細胞エンジンの環境は血液であり、血液を通して、必要な物質を吸収し不要な物質を廃棄する。
この物質循環が正常であれば、「細胞エンジン」は、少なくとも寿命がつづくかぎり、「定常開放システム」として機能している。
あなたは、60兆個もの細胞エンジンをもっているのだ。
動物には、体内の状態を一定に保つしくみ、恒常性(ホメオスターシス)を維持する性質がそなわっている。
この恒常性を保つために、ホルモンが血液から細胞エンジンに注入される。
ニワトリの産卵、オタマジャクシからカエルヘの変態、渡り鳥の渡りの開始、サケの産卵のための湖上など、動物の本能的な行動にもホルモンが関与している。
ホルモンの作用は「鍵と鍵穴」にたとえられる。
細胞の中心(核)にはレセプターとよばれる鍵穴があり、それに合った鍵(ホルモン)だけを受け入れ、細胞エンジン(生理作用)のスイッチをオンにする。
さて、いま環境汚染のひとつとして問題になっているのが「環境ホルモン」(内分泌物)だ。
これまでに数十万にのぼる人工物質(化学物質)が生産されているといわれるが、そのなかには、女性ホルモンの一種、エストロジェンとよく似た構造をもつもの(鍵)がある。
この巧妙につくられたニセ鍵を、鍵穴(レセプター)はエストロジェンと区別することができない。
こうして、まちがってスイッチが入ってしまうと、細胞エンジンは誤作動する。
つまり、タンパク質の合成が乱され、不妊や乳児の発達不全などを引き起こすことになるのだ。
1996年、S・Cは、『奪われし未来(OurStolenfuture)』の中でこの問題について世界に警告を発した。
環境ホルモンの作用は、いわば「スイッチ」のようなものであるから、他の毒性にくらべて、非常に微量でも影響があらわれる。
Cはこのことを、「タンク車660台分のトエックに、ジンを一滴たらした量」と表現している。
もともとホルモンは、必要な時期(早からず遅からず)に、必要な分量だけ(多からず少なからず)が作用して、はじめて正常な働きをすることができるように調整されている。
生物は、きわめて微量な物質(ホルモン)を微妙にコントロールできる、「定常開放システム」を長大な時間をかけて築き上げてきたのだ。
この精妙な細胞エンジンのシステムを、産業活動のゴミとして排出された人工物質が攬乱し、生体に異常を引き起こしているのである。
本来、生命圏の持続性は、永続的な物質循環を基礎とした定常開放システムの存在によってなりたっている。
だが、残念なことに、今日先進国が進めている市場経済優先型の社会では、開放システムの定常性は大きく損なわれている。
とくに20世紀後半の高度経済成長時代には、人々はモノを作ることに専心し、廃棄はいかにあるべきか、という開放システムに不可欠なしくみにまったく無頓着であった。
ぼくは小学校1年生のときに終戦を迎えた。
戦後生まれの団塊の世代より、もうひと回り年をとっていて、幼稚園時代には第2次世界大戦の終わりころのきびしい生活も体験した。
敗戦という日本の歴史がはじまって以来の大転換期をへて、日本の伝統文明がどのように変貌をとげていったのかを見とどけた生き証人といえるかもしれない。
W・Mさんが思い出させてくれた「もったいない」という言葉は、ぼくの子どものころ、日常生活のあらゆる場面で頻繁に使われていた。
敗色も濃厚になると、町の中心のビルには「欲しがりません勝つまでは」といった大きな垂れ幕が下がるようになった。
国民は徹底した窮乏生活を強いられ、「もったいない」を連発せざるをえない日々を送った。
食料は、ほとんど捨てるところもないほどきれいに食べた。
そのころ、イワシは大衆魚で、よく食卓に並んだ。
イワシの骨に身がついていると、「もったいないからきれいに食べなさい」と注意されたが、身と竹をきちんと分けることは簡単ではないし根気がいる。
そこで、祖父が頭から全部食べてしまうのを見て真似をしてみた。
はじめは骨がごつごつして食べづらく、時には小骨がのどにささって、ご飯のかたまりを飲みこんだりすることもあった。
しかし慣れてきてうまく食べられるようになると、「もったいない」という小言が「きれいに食べたね」という称賛に変わるようになった。
ぼくは気をよくした。
衣服も、破れたところがあれば母が繕ってくれた。
わんぱく時代のぼくのズボンには、幾筋もの縫い目が走っていた。
けれども、少しも恥ずかしいとは思わなかった。
それどころか、ミミズの数は、旺盛な活動力のシンボルとして、遊び仲間のあいだでは、むしろ自慢することができた。
「捨てさせろ、無駄遣いさせろ」「もったいない」が急に聞かれなくなったのは、ぼくが中学に入った1950年代初めごろからだったろうか。
明治時代以後、「欧米に追いつけ追い越せ」という日本国家がかかげてきた100年の計は、敗戦でさらに拍車がかかった。
戦争遂行という目的を経済成長におきかえ、政府、企業、国民が一丸となって、その目標に向かって全力疾走をはじめたのだ。
日本人には、経済成長以外、なにも目に入らなかった。
50年代中ごろから70年代初頭までつづく経済成長は「世界の奇跡」といわれ、日本は、後発途上国からわずか数十年のあいだに、先進国のトップグループに上りつめた。
68年には、国民総生産(GNP)が資本主義国のなかでアメリカに次いで第2位に達した。
ぼくが大学に入ったのが1958年。
まさに高度成長期のまっただ中だった。
世の中では、技術者が金の卵のようにもてはやされた。
理工科系のぼくの大学では、学生ひとりに対して10社以上からの求人があったりして、友人たちはうれしい悲鳴をあげた。
そんななかで、ぼくは大学院に進んだ。
高給で処遇されている明るい姿の友人たちを見ると、奨学金で生計を立てなければならない自分が、なんとなく取り残されたようで、みじめな気持ちになることもあった。
産業を促進するためのいろいろな方策が経済成長を加速させた。
良質で安い労働力、輸出に有利な円安相場(当時1ドルは360円であった)、安い石油、企業の設備投資を促進するための工業用地の造成、安定した投資資金を融通する護送船団方式などなど……。
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